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2024.06.07 社長ブログ

社長ブログ(第11回)「座右の銘」

今回は私の座右の銘について書きたいと思います。私の人となりが少しはご理解いただけると思います。

※このコンテンツはAIで作成しております

目次

  • らくではなくたのしく
  • 主人公であり、名脇役になる
  • 運命は性格なり
  • 人生とは運と縁

らくではなくたのしく

私の最も好きな言葉は「らくではなくたのしく生きる」です。これは私自身が高校時代に経験したことから心に思った言葉で、そこから始めたいと思います。高校時代はラグビー部に所属して、かなり過酷な練習を毎日やっていました。高校1年の入部時から数か月間、その日の最終授業になると、終わった後の部活動に行くのが嫌で、憂鬱な気分になったのを覚えています。4月に入部して、6月頃になると辞める人が出始めて、辞める人をうらやましがる自分がいました。部員が辞めると、江の島まで23kmのマラソンに行くという部のしきたりがあり、暑い日に23km走ると言われた時は、本当に走るの?と思っても、走るのが恒例なので、実際に走り、かなり辛かったですが、どうにか歩かず走り切りました。2時間ちょっとだったかと思います。私も辞めたいなあと思いつつ、でも1年間は続けようと心に決めて、日々鍛錬していました。そんな中、2年に上がる前に先輩を差し置いてレギュラーとして出番が回ってくる機会に恵まれました。それでも、まだラグビーをあまり理解できておらず、好きかと問われると義務感でやっていたように思います。

2年に上がると1年の後輩が入ってきます。私が1年の時に「スクールウォーズ」というラグビードラマが放映され、大ヒットします。そのようなこともあり、私の入部時と比べて、かなり大人数の部員が入ってきました。先輩として練習を進めていく中、ふと気づくと、1年時かなり苦しかった練習が、そこまで大変と思わなくなり、練習の手の抜き方も覚え始めました。そのように練習をして、試合にも出るようになるのですが、1年時の辛さはない反面、それほど楽しくもありませんでした。

そのような生活で時が過ぎていきます。私の高校はそれほど強い学校ではなかったのですが、強豪校とも練習試合を行えるようになっていき、徐々に、試合をすることが楽しみになってきました。そんな中、2年の夏の合宿最終日にOB戦があり、いつも敗けていたOBに勝利するのですが、その時、右センターとして出場し、トライを奪います。この瞬間は楽しかったですね。また強豪のT高校(今では花園出場校)と練習試合をする機会にも恵まれ、何も考えず試合をすることだけに集中して、試合に臨みました。結果は完封勝利(12-0)。
この時、更に「たのしい」ということを心底理解できるようになりました。らくに過ごしても、たのしさを得られず、1年時の過酷な練習に耐え、体を鍛え、ラグビーを学び、勝つスキルを習得したからこそ、得られた結果であり、らくに過ごしても、たのしさを得られないことを学びました。
最終的には私の高校は進学校ということもあり、3年時の春に卒部する流れになっていて、最後の関東大会県予選では、無名の私の高校が強豪のT高校(上記とは別の学校)を破る大金星を得て、ベスト8で終了しました。ベスト8を掛けたベスト16の試合後半、私は背面タックルを受け、気絶し、途中退場するというアクシデントがあったのですが、後日、その試合を見ていたスクールウォーズの作者から名刺付きで、本をいただくという、これまた一生の思い出に残る出来事がありました。

それから、いつも決断を迫られるような時は、「らくではなくたのしく生きる」をモットーに生きてきました。

主人公であり、名脇役になる

これ以外に私の好きな言葉は「自分の人生という劇では自分が主人公として生き、他の人の人生という劇には名脇役に徹する」というものです。これも私が中学時代から思っていたことです。テレビやネットで、社会の動向を知ることができても、基本、自分の人生は自分が見て、聞いて、触って感じる環境の中でしか、生きることができません。その自分という人生劇場の中では、私が主人公ですが、そこに登場する家族や友人も、自分の人生劇場には必須の方々です。他にもいろいろな人が自分の人生劇場には登場します。代わりに、家族や友人のそれぞれの人生においても、それぞれの人生劇場があります。そこには私は脇役として登場します。他者の人生劇場では名脇役として一生懸命生きないと、私の人生劇場では、それぞれの方々が一生懸命生きてくれないと思うようにいつしかなりました。そのようなことから、自分の人生では自分が主人公なのだから、思いっきり生きようと肝に銘じて、生きてきました。周りの人のお陰で輝かしい人生になるのは、皆さん一緒かと思います。

運命は性格なり

それ以外の言葉ですと、「好きこそものの上手なれ」や「人間万事塞翁が馬」などの言葉も大好きですが、深堀して、ここで書くとすると、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが言ったとされる「運命は性格なり」という言葉も好きな言葉です。自分の性格は無理に変えようとしても、それは長続きしません。自分の性格というのは、後天的に変わる部分もありますが、中心の部分は生まれた時点である程度決まっているように思います。人生は、その人生を紡ぎだす当人の性格で決まるものという考え方は、正しいように思います。結婚相手や親友でもいいですが、相手に対して、自分の好むように性格を変えてと願っても変えられるものではありません。

変えられるとすると、自分の性格ですが、これも容易なことではありません。とすると、「自分ってどういう人」と、自分に問い、自分をよく理解し、自分にあった生き方をするのが最良と思いますが、なかなか「自分とは?」という部分で答えを出せるには時間がかかります。特に若い頃は、誰もがいろいろなものにぶち当たりながら悩む日々があるかと思います。だからこそ歳を重ねた後、青春時代を懐かしい無垢な時として思えるのではないでしょうか。自分をよく知り、自分にあった人生を進むということは、自分の性格を知ることが基本になります。それが理由かわかりませんが、私は昔から血液型占いや太陽星座、月星座などの占いにはとても興味関心が強い人間です。

人生とは運と縁

最後にもう1つお伝えして、文章を終えたいと思います。
「人生は運と縁で成り立っている」これも私自身が30代頃に思ったことですが、松下幸之助さんの「成功とは90%運である」とか「運も実力のうち」なども似たような言葉ですが、若干ニュアンスが異なります。確かに成功するには90%運だと思いますが、別に成功するとか、しないとかに関係なく、人の人生は運や縁の占める割合がほとんどだと思います。「運も実力のうち」もなんとなく成功するための秘訣を示しているように思います。もちろんそのような意味合いも理解できますし、私もそのように思います。田坂広志さんの「運気を磨く」も読みましたが、運気というものも間違いなく存在すると思います。

ただ私が思う「人生は運と縁で成り立っている」は、成功するためとか実力をつけるためとかよりも、人生は運や縁が占める割合が大きいため、どのような場合においても運を大切にする、ということです。私が思う「運」にしても、「縁」にしても、それを掴む、あるいは選ぶ時に成功するかどうか、はわからないということです。ただ何か試練や決断を迫られたときに、これはどの道が私にとっての運なのかどうかを、考える癖を身につけるようにしました。人生における流れ、気の流れなどは、近い概念かもしれません。前回のブログにも書いたように、私にとっては、私が生まれてくること自体が運であり、その運は、自分が選ぶことを超えた何かに思えます。この縁を含む運は、自分が何かをすることを超えた存在で、人間の存在をとても小さく思わせます。

高校時代に校舎の2階から落ちた時や、南アフリカを放浪していた際、5人の黒人に襲われた時は、時間が止まったように思え、何とか助かりました。死に直面した際には、間違いなく、自分の力を超えた運の存在を感じました。また私が通常のサラリーマン人生とは異なる生き方を選んだ後にも、DACの創業メンバーとして上場を経験するといったことや、現在のGMAでも順調に歩めているのも、クライアントとの出会いや社員との出会いがあってこそだと思っています。そのような自分の力を超えた何かに出会い、人生を幸せに送れてきたのは、運や縁のお陰だと思っています。そのような理由から、何か自分に悪いことがあっても、それは自分を試す試練だと考えるようにしています。試練の後に楽しさがあるのも、前述のラグビー時代の経験があるからかもしれません。本当にきつい練習で、あれは忘れられませんし、忘れてはいけない貴重な経験だと思っています。

人間誰にでも、人生3回の運があると母から教えてもらったことがあります。私はこれまでの人生で3回以上の運を経験していることから、与えられた運をつかみ続ければ、3回以上の運があり、1回の運を運を掴み損なっても、まだ2回残っていると解釈するようになりました。

この境地に達することができたのも、後悔せず、自分の信じる道を歩んできたからだと思っています。今後もできる限り謙虚に、支えてくれる皆様に感謝して、自分の残りある人生を歩んでいきたいと考えています。

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