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2023.11.16 社長ブログ

社長ブログ(第2回)「創業ストーリー(前編):暗中模索の創業期」

社長ブログでは、少しでも弊社に関心を持ってもらえるよう、弊社がどういう会社で、弊社はどうなりたいかを共有していきたいと思います。
第2回目は、グローカルMA(以下GMA)創業ストーリーについての前編となります。
 

※このコンテンツはAIで作成しております

目次

  • ゼロからのスタート、半年で利益は8万円
  • 新たな社員の加入で進む、行政HPの広告事業
  • それ以外のネット広告事業
  • 国連環境計画の目にも留まった竹タオルEC販売の支援

ゼロからのスタート、半年で利益は8万円

弊社1回目の創業は2005年になります。その時の社名はグローカル・マーケティング(株)。私はDACという会社の創業メンバーの1人で、1997年からDACでインターネット広告に携わっていました。2001年に上場を果たし、どんどん大きくなっていき、東京発のネット広告市場も拡大してきている中、自分が持つ知見を東京の市場拡大にのみ使っていくのでいいのか?もっと地方発のネット広告市場拡大に貢献できないのか、といった理由から独立という道を選びました。DACの社長、副社長も独立であれば、ということで快く送り出してくれました。

ただゼロベースの船出は大変でした。会社登記が完了し、事業開始前に、横浜市が主催している創業支援セミナーに参加したり、事業プランを考えたりと経営のイロハを学んでいきました。実際、ここで考えた事業プランは机上の空論で、本来の事業には全く役に立ちませんでしたが、2回目の再起業の事業がそこで考えた事業案に非常に近いので、これもスティーブジョブスの名言である「Connecting the dots」のようで面白いなあと感じます。

そこの場で一人のエンジニア(E氏)と意気投合し、彼が第1号社員として参画してくれました。と言っても、売上もなく、自分の家を会社住所(横浜市)にし、最初は1人でテレアポから開始しました。2006年1月10日だったと思います。新聞の折込広告の事業社をターゲットにしたので、いくつかチラシを集めて午前10時から2時間電話しましたが、撃沈でした。普通に考えれば当たり前ですよね。ネット広告の知見しかない海の物とも山の物ともわからない若者が電話したところで、相手にされる訳がありません。何社か資料を郵送したりもしましたが、返事がある訳もなく、数日でこれはまずいとなりました。資本金は1000万円ありましたので、意気投合した第1号社員の給与はかろうじて払えましたが、売上がなければ、会社の預金が目減りしていくのみです。この危機的状況を打破しようと、DACから、「asahi.com」「Yomiuri Online」「goo」の広告枠を購入して、神奈川県ユーザーのみに配信する広告商品を作り、DACのつてで紹介いただいた読売神奈川広告社の営業の方と一緒に営業したところ、Y銀行にご購入いただき、弊社第1号のクライアントになりました。この時、Y銀行にはバナー広告を制作できる人がいませんでしたが、E氏がいたお陰でバナーも何種類か作り納品することができ、初売上になりました。売上額は100万円ぐらいありましたが、利益が15%の15万円で、読売神奈川広告社と利益を折版したので、利益額は約8万円でした。この時2006年6月でしたので、事業開始して半年が過ぎていました。

新たな社員の加入で進む、行政HPの広告事業

その後、読売神奈川広告社や神奈川新聞の営業福井氏(現、エリアドライブ社長)のお陰で、広告やWeb制作で売上は上がっていくのですが、利益が出るレベルではなく、預金のジリ貧は免れることはできませんでした。E氏もこのままではスキルが上がらないと思ったのか、2006年12月に辞めていきました。ちょうどその頃、横須賀市から連絡があり、行政のページに広告を入れる事業をしたいということで、弊社のみの入札で、その事業を落札し、2007年に入ります。そんな折、横須賀市の広告募集先として弊社名が出たこともあり、それを見た吉田氏(現、DOE社長)から、飛び込みで弊社の社員にしてほしいと連絡がありました。

E氏が辞めたばかりで、給与を払う必要がなくなったので、雇うつもりはなかったのですが、彼の熱意に根負けし採用したところ、彼の営業力に本当に助けられました。横須賀市のブランド名もあり、広告を入れたい企業から連絡を受けて、それを対応するのがメインの仕事となっていたのですが、彼は横須賀出身ということもあり、自分からも営業してくれて、かなりの売上を上げてくれました。よって横須賀市のホームページは彼に任せて、私は別の事業に進むことができました。この関係の流れで、横浜市のホームぺージ広告事業も受託するのですが、これはサイト全体ではなく、一部のページを弊社のアドサーバーで配信する仕組みでした。これは横浜市のサイト全部ではなかったので入札はなく、一部トライアルということで、随意契約で進めました。この頃に入札や随意契約ということを実体験しながら学んでいきました。この横浜市のサイトでもかなりの数の広告主を決めることができました。

それ以外のネット広告事業

他にも進めた事業は2つあり、1つは「みんなの経済新聞」の広告事業です。みんなの経済新聞ネットワーク(以下、みん経)とは、地域発のネット媒体で、その頃、シブヤ経済新聞、ヨコハマ経済新聞、六本木経済新聞、博多経済新聞と4媒体ありました。横浜で営業していたこともあり、ヨコハマ経済新聞のS編集長と会う機会が数度あり、その後、シブヤ経済新聞の編集長で、みんなの経済新聞ネットワークを束ねているN氏をご紹介いただき、N氏から広告事業を弊社に委託いただきます。私が関わった時期がちょうど媒体数の伸びている時期で、数十から百を超えていきました。広告はGoogleのリスティングがメインでしたが、純広告の集稿は大変でしたね。みん経のような媒体はそもそも地域の記事で成り立っていて、記事は一度見たら終わりですので、PV(ページビュー)数がそれほど大きくありません。そのため、なかなかみん経指定で掲載するという依頼が多くなく、その上ネット広告自体はインプレッション数やクリック課金の料金体系なので、それほど大きい金額にはなりにくい部分はありました。

それでも媒体ブランドが育っていくと、みん経指定での広告の依頼も出てくるようになり、サイトの質もそれなりに高かったので、SEO目的での掲載もありました。

国連環境計画の目にも留まった竹タオルEC販売の支援

 

※このコンテンツはAIで作成しております

もう1つの事業は竹タオルの販売事業支援です。支援した会社(T社)はもうなくなってしまいましたが、竹タオルのEC事業を支援していました。竹繊維は、吸水力が高く敏感肌にも優しく、何よりエコな素材なので、これからのエコ時代に売上が伸びる商品だと思ったからです(竹がエコであることを書くとかなり専門的になりますので、ここでは割愛します。)E氏がいたこともあり、無料でサイトを作ってあげた代わりに、EC売上利益の30%ほどをいただくようなビジネスモデルだったと思います。ヨコハマ経済新聞で取り上げてもらった後、それを見たFM横浜のディレクターに目が留まり、T社の社長がトーク番組に出演し、それを聞いていたリスナーが東急ハンズの横浜店に問い合わせしたことから、東急ハンズの担当者から電話を私が受け、東急ハンズへの納品が決まります。その後、池袋店等の主要店舗にも出店していく中、TV東京のディレクターの目に留まり、TV東京の番組「ワールドビジネスサテライト」の繊維特集という企画で、この商品も取り上げていただきました。その時は、利用者ということで我が家での撮影になり、妻や子(背中だけ)が出演しました。

これで知名度を広げたこともあり、東急ハンズのほぼ全店に出店が決まり、ECの売上も拡大していきました。名前は言えませんが、有名人のご家族もよく購入してくれて、私も一緒になって箱詰め作業をしました。その後、国連環境計画日本協会(UNEP)からロゴを使っていいという話にもなり、これは凄いことになるかもと思いました。この後、違う意味で凄いことになるのですが、それは次回お伝えしたいと思います。ベンチャー企業の大変さが、いい意味でも、悪い意味でも身に染みてわかり、とても勉強になりました。

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