2025.01.20 社長ブログ
社長ブログ(第16回)2025年の抱負
2025年(令和7年)になりました。今年はどういう年になりますでしょうか?
新年になりましたので、今年の抱負を書き残しておきたいと思います。
目次
- 2024年を振り返って
- 2025年の抱負
- コミュニケーション能力とは
2024年を振り返って
2024年の干支(えと)は「甲辰」になります。ほとんどの人は辰年であったことはご存じだと思いますが、正式には甲辰の年というのが正しい表現になります。
それに関する解説は以下のサイトの説明がとてもわかりやすいので、以下を読んでほしいと思いますが、昨年は日経平均株価が最高値を更新したり、金利を上げたことで株価が急落するという激震が走ったりする一方、SNS等で政治やメディアの恥辱が暴かれた一年でした。そういう意味では、「辰」という言葉が含まれる字(震、振、辱)で表現されやすい年だったと思います。
LIFULL HOME’S PRESS:2025年の干支「乙巳」は劇的な変化を暗示。伸び切った枝葉を糧にして、業火が起こる年
私一個人としても、3月、11月と一年に同時に両親二人が他界するという激震が走り、会社においては、オフィス移転に加え、賞をいただいたり、業務も多忙ではありましたが、大きな売上につながったりといった変化が激しく、激動の一年でした。
そのような年でもありましたので、会社を経営していく上で、いろいろなハードルにぶつかることや、思い通りにならないことにも直面し、苦労することも多々ありましたが、一年を通して考えると、お客様や弊社を支えてくれているパートナー様のお陰で、充実した年を過ごすことができました。そういう意味では上記サイトの「甲辰」の説明に書かれているように、変化も激しく、成長を促す一年である一方、両親の他界という激動の一年であったと総括できます。
※このコンテンツはAIで作成しております
2025年の抱負
それでは2025年はどんな年になるのでしょうか?2025年の干支は「乙巳」になります。
上記サイトによる「乙巳」の説明は「伸び切った枝葉を糧にして、業火が起こる年」(陰陽五行思想)ということで、2024年に白日の下に晒された様々な事柄が、一気に動き出すことを示唆し、隠されていたわけではないが、長年閉塞感に苛まれていた事柄が劇的な変革を迎える年になるだろう、と説明しています。
上記説明は弊社にも当てはまるように思います。再起業して、今年の3月末で丸4年を迎え、5年目に突入します。ベンチャー企業で、5年を迎えるのは大変で、5年後の生存率は15%、10年後の生存率は6.3%と、以下のサイトには書かれています。
日経ビジネス:「創業20年後の生存率0.3%」を乗り越えるには
どうにか15%に残れるよう、あと一年また一年と日々精進していくのは当然ですが、さて、弊社は今年どこへ向かうのでしょうか?約4年間、その時できることを必死で日々やってきました。結果的にはそれで良かったのですが、今のビジネスモデルにおける成長では頭打ちになり、新たな事業を形にしていかなければならない年であるとも思います。「乙巳」ということとつながりがあるかわかりませんが、今のまま進んでも成長できませんし、社員も疲弊し、業火に繋がってしまうように思います。
今後は、組織基盤を作ると同時に、新しい事業を創出していかなければなりません。そういう意味では、分岐点の年であり、壁が目の前に迫る年とも言えるでしょう。この壁を乗り越えるのか、あるいは迂回するのか、新たな道をカオスの空間に作って行くのか。現在は壁をどう乗り越えるか社員と日々悩んでいます。コンサルビジネスから、ツールビジネスに向かうという意味では、壁に穴を開けている状況かもしれません。壁の前で立ち止まっていては何も起きません。壁を越えるべく動こうとすれば、壁の向こうから助けがあるかもしれません。ただツールという売り物を作っても、壁を壊して壁の向こう側の世界に導かれるかもわかりませんが、壁を迂回しても、どの道が正しいかわかりませんし、カオス空間で道を創造するのも並大抵なことではありません。そういう中では、我々の立ちはだかる壁に穴を開け、協力してくれる人を募り、協力者のお力を借りて、どの角度からであれば、壁を乗り越えられるか、失敗を重ねて、最適解を見つけられるよう、社員一同、力を合わせて進む、そんな一年にしたいと思います。
※このコンテンツはAIで作成しております
コミュニケーション能力とは
最後に、年明け始業日に、社員向けに話したコミュニケーション能力について書いて終わりたいと思います。
世の中で、コミュニケーション能力の大切さが説かれて久しくなります。このコミュニケーション能力とはどのような能力でしょうか?世の中で思われるコミュニケーション能力は、話しやすい雰囲気や人柄、性格等を背景に、話しがうまい人を指すように思います。私もそのように思っていた節があります。ただ上記のような定義では、生まれ持った性格や才能に起因するように思えてしまいます。本当にそうでしょうか?性格が暗かったり、話しにくい雰囲気を醸し出したりする人にはコミュニケーション能力がないのでしょうか?逆に明るく、話しやすい雰囲気を醸し出す人は、ほぼコミュニケーション能力を兼ねそなえているのでしょうか?私はそうではないのでは、と思うようになりました。もちろん後者のような人の方が、よりコミュニケーション能力を極める素養はあるかもしれませんが、コミュニケーション能力は一定の物事への理解がないと向上しないスキルだと思います。
簡単に書くと、一問一答の会話にならない会話を作る能力、会話において質疑応答の多くない会話を作れる能力と考えます。これは会話だけではなく、チャットやメールにおいても、資料作成においても言えることと思います。
営業マンがある商品を顧客に説明しているとします。
その営業マンが顧客に「この商品は、こういう場合に機能する商品です」と説明した際に、顧客は「では、この場合はどうですか?」「この場合は?」というように、立て続けに質問されるということは、コミュニケーション能力が優れていないということです。
相手側が、すぐに理解できる人には、簡単な説明でよく、逆にくどい説明は嫌われます。ただ相手側がその商品を初めて知る人であれば、くどいほど、いろいろな角度から説明する必要があり、簡単な説明では嫌われます。
相手がどのレベルまで理解できる人かを考慮し、その相手に合わせて、どこまで話すかを考え、結果的に質疑応答が少なく、生産性の高い会話、言うなれば、より深い会話に導ける能力がコミュニケーション能力だと考えます。深い会話という意味は、その商品を知るという前提の会話ではなく、その商品を導入した場合や購入した場合に、どのような付加価値が顧客に生まれるかと言った購入後の話まで導くことを指します。
そう考えると、チャットでも、メールでも、会話が凄い量になる場合があります。それはコミュニケーション能力が優れていないということで、このやり取りをどれだけ減らせるかということを吟味する必要がありますし、資料においても、その資料内容の基本部分の質問が多く出る資料というのは、コミュニケーション能力が優れていないということになります。資料作成においても、情報の共有ということを考えれば、論理的思考能力ですので、それはコミュニケーション能力の一部であり、大きい考え方の中では、コミュニケーション能力になると考えます。
そのように考えた場合、自分のコミュニケーション能力が優れているか、優れていないかは、話しの基本の部分で一問一答になっていないか、会話時間が長くなっていないか、を考え、それを減らすにはどうしたらいいか、を考えるスキルだと思います。それはキャリアを積んだ人でも、そのようなことになる場合も多いですし、歳を取ると話が長くなるとも言われていますので、自戒を込めて、そのようにならないよう注意していきたいと思います。
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